「家康と一向一揆」展
こんにちは!愛知お散歩ナビゲーターのほとんどうどんです。本日は安城市歴史博物館の特別展「家康と一向一揆」を見に行ってきました。
館内は平日にも関わらず、大河ドラマの影響でしょうか、多くの人で賑わっていました。入場料は500円です。
rekihaku-exhibition.ansyobunka.jp
展示物は書状や古文書などの二次元が中心でかなり玄人向け。甲冑や武器といった物は無いです。
当時の一向宗、親鸞が開いた浄土真宗ですが、ムチャクチャ影響力が強かったんですね。
三河一向一揆は家康三大危機のひとつ。
安城市には三河一向一揆の一揆側の拠点であった本證寺があります。
家康も苦しめられた三河一向一揆は1563年から1564年にかけて発生、松平家(家康側)と三河三ケ寺と門徒側についた一部松平家(安祥松平家や本多正信などの家康の家臣含む)との争いです。
三河三ヶ寺は本證寺のほかに佐々木上宮寺、針崎です。
本多正信と言えば後の江戸幕府の老中ですね。(大河ドラマ「どうする家康」では松山ケンイチ)
なかなか複雑ですね。
一向一揆は結果的には家康側の勝利に終わり、三河において松平家の支配が強まることになりました。
展示会のテーマは一向一揆ですので、三河一向一揆のほかにも三重の長島一向一揆の解説もありました。また、石山本願寺一向一揆についても触れられていました。
浄土真宗が東本願寺と西本願寺に分裂したのは1570年の石山本願寺一向一揆(今の大阪城の地)がきっかけなんですね。
織田信長と和睦した当時の石山本願寺の当主であった顕如と三男准如が現在の西本願寺へ、徹底抗戦を主張して家康に近づいた長男の教如が東本願寺へ分裂。
家康にとっても巨大な影響力を誇っていた真宗が2つに分裂したことは都合が良かったようです。
本證寺へ
歴史博物館のあとは自転車で30分ほどのところにある本證寺へ行きました。
本證寺は城郭のように二重の堀が張り巡らされていました。まさしく戦うための寺だったんですね。
写真の内堀は夏には蓮の花が咲き乱れ、地元では蓮の名所としてそこそこ有名。
外堀は現在は見られませんが発掘調査で確認されています。
堀の中には町があり、寺内町を形成していたようです。
本堂です。本堂の前にはテントが建てられていて、土日には地元のボランティアガイドが観光客をもてなすようです。
そのほか西側の駐車場には立派な仮設トイレが設けられいました。「どうする家康」放映にともない増加する観光客の受け入れ態勢はバッチリのように見えました。
庫裏です。
令和5年9月30日(土)までの土日は安城歴史博物館ー(桜井駅)ー(南桜井駅)ー本證寺間で無料のシャトルバスが運行されています。