愛知お散歩なび

愛知お散歩人のほとんどうどんが公園、施設、工場、神社仏閣、その他いろいろ興味のおもむくまま歩き回ります。なるべく車を使わないエコな旅をします。

小牧・長久手の戦いの舞台 小牧山城へ行ってきました(小牧市)

愛知お散歩ナビゲーターのほとんどうどんです。今日は小牧市にやってきました。

 

ご存知の通り、名古屋の北に位置するのが小牧市です。

 

小牧市の中央にこんもりとした小牧山があり、その頂上に小牧山城が鎮座しています。

 

小牧山城まで登ってみることにしました。

 

小牧山は戦国時代の小牧・長久手の戦いの舞台です。

 

小牧・長久手の戦いは、天正12年(1584年)3月から11月にかけて、羽柴秀吉陣営と織田信雄・徳川家康陣営の間で行われた戦い。尾張北部の小牧山城・犬山城・楽田城を中心に、尾張南部・美濃西部・美濃東部・伊勢北・紀伊・和泉・摂津の各地で合戦が行なわれた。

また、この合戦に連動した戦いが北陸・四国・関東でも起きており、全国規模の戦役であった。名称に関しては、江戸時代の合戦記では「小牧」や「長久手」を冠したものが多く、明治時代の参謀本部は「小牧役」と称している。ほかに「小牧・長久手の役」・「天正十二年の東海戦役」という名も提唱されている。

小牧・長久手の戦い - Wikipedia

 

ひとことでいうと、1582年の本能寺の変による織田信長死後、秀吉と家康側の主導権争いでしょうか。戦国時代でもわかりにくい戦いのひとつですね。

 

小牧山は歴史公園のようになっています。

 

小牧山城のある小牧山は平野にとび出た小山で、標高は85.9m。小牧山城は織田信長が初めて築いた居城になります。

 

1560(永禄3)年、桶狭間(おけはざま)で今川義元を破った織田信長は、三河の松平元康(後の徳川家康)と協力して、美濃の斎藤氏を攻めるために準備をはじめました。そして1563(永禄6)年、信長は頂上から美濃方面を一望できる小牧山に城を築き、清須から移り住みました。
1567(永禄10)年、信長は美濃を手に入れ、稲葉山城(後の岐阜城)に住まいを移しました。小牧山城は使われなくなり、城下町も衰えていきました。

史跡小牧山の歴史 | れきしるこまき(小牧山城史跡情報館)

 

織田信長が住んだのはわずか4年だそうですが、近年の研究で多くの石垣がある本格的な城で、南側には城下町も作られたことが判明したそうです。

 

その後、小牧・長久手の戦いでは徳川家康の本陣になりました。

 

小牧・長久手の戦いの際、徳川家康の改修で堀とともに山麓にめぐらされた土塁を復元したものです。もともとこの場所に小牧市役所の建物があったそうです。

 

城へと続く大手道を登ります。信長の築城時に整備された道だそうです。

 

平らなところに出ました。もともとは何か建造物があった場所でしょうか。

 

最近も発掘調査が行われているようです。

 

なんと今あるお城は個人の寄贈によるものなんですね。

 

現在ある小牧城の建物は、1962年(昭和42年)に名古屋市に住んでいた実業家の平松茂が、自身の財産を投じて建設し、小牧市に寄贈したものである。西本願寺の「飛雲閣」(伝聚楽第の遺構)をモデルとしており、1968年(昭和43年)に開館した。中世から現代にかけての小牧市の歴史的資料が各階に展示されているほか、最上階は展望施設となっている。

小牧山 - Wikipedia

 

 

いたるところで調査および工事中です。

 

歴史資料館に入りました。入館料200円です。

 

小牧山を所有し小牧市に寄贈した徳川家の徳川義親と、城を寄贈した実業家の平松茂。徳川義親は名古屋の徳川美術館を設立した人なので聞き覚えがありますね。

 

写真撮影可能なのは1階のみ。小牧・長久手の戦いをはじめとする歴史関係の展示は2階、3階にあります。

 

最上階からの眺望です。犬山方面です。

 

岐阜方面。織田信長が次に移り住んだ岐阜城も見えます。

 

真ん中の山が切れているところが関ケ原。

 

名古屋の市街地方面。

 

県営名古屋空港が見えます。