愛知お散歩なび

愛知お散歩人のほとんどうどんが公園、施設、工場、神社仏閣、その他いろいろ興味のおもむくまま歩き回ります。なるべく車を使わないエコな旅をします。

旧東海道鳴海宿と成海神社(名古屋市緑区)

 

こんにちは!愛知お散歩ナビゲーターのほとんどうどんです。今日は名鉄の鳴海駅を起点に歩いてみようと思います。

 

鳴海駅のあるこのあたり、昔は遠浅の海だったそうです。

 

 

鳴海宿本陣跡

 

鳴海駅の北側、扇川を渡って左手に旧東海道鳴海宿本陣跡があります。鳴海宿は池鯉鮒宿と宮宿の間に挟まれた、東海道40番目の宿場町です。

 

こちらは祭の山車を収納する倉庫でしょうか。ここに本陣がありました。

 

本陣があったことを示す看板です。

 

 

近くの三菱UFJ銀行鳴海支店前に、復元された鳴海宿高札場があります。

 

 

高札の実物は名古屋市博物館に保管されていることが記されています。

 

 

鳴海城跡公園

 

道は少し上り坂。

 

近くに鳴海城跡公園と根古屋城跡があるので行ってみることにしました。鳴海城の別名は根古屋城なのでほぼ同じ史跡と考えてよさそうです。

 

鳴海城跡公園です。ちょっとした遊具のある児童公園になっていました。

 

城跡を示すものは何もなく、この名古屋近辺でよく見かける「信長攻路」の碑があるだけでした。

 

鳴海城は桶狭間の戦いの際の今川方の重要拠点であり、守将岡部元信は義元の首と引き換えに開城したと書いてあります。

 

根古屋城跡

 

先ほどの高札場があった三菱UFJ銀行の道を挟んで北隣、天神社とありますが、ここに創建時の成海神社はこちらにあったそうです。

 

鳴海城址の石碑がありました。

 

鳴海城跡

 

根古屋城ともいい、応永年中(1394~)安原宗範の築城と言われる。永禄3年(1560)桶狭間の戦いでは今川方の猛将岡部元信がこの城に配され、義元が討たれた後も雑賀まで立てこもって奮戦した。

その後、佐久間信盛、正勝らが城主となったが、天正18年(1590)廃城となったと伝えられる。

『尾張志』は東西75間、南北34間で四面に堀跡、本丸と二・三之丸にも堀を残すと記している。

 

名古屋市教育委員会

 

それにしても「名古屋」と「根古屋」、読みが近いのが気になります。

 

成海神社

 

500mほど北に歩くと成海神社があります。

 

成海神社

 

平安時代初期の年中行事や制度などを記した『延喜式』に載る「愛智郡成海神社」にあたるとされる格式の高い神社である。

 

朱鳥元年(686)の創建と言われ、日本武尊、宮簀媛命、建稲種命を祭神とする。はじめ天神山(根古屋)にあったが、応永(1394~1428)のころ安原宗範が鳴海城(根古屋城ともいう)を築くにあたり、この地に移された。

 

現本殿は棟札にあるように延宝5年(1677)の建立とみられる。

 

名古屋市教育委員会

 

本殿です。

 

だるま塚です。

 

参拝者が奉納したダルマがいっぱい並んでいます。しかも列を乱すことなくきれいに並べられています。

 

目玉は書かれていたㇼ書かれていなかったりですね。

 

こちらは絵馬です。

 

末社東宮稲荷社です。

 

伏見稲荷のミニチュア版のような赤い鳥居が林立していて、なかなか写真映えするスポットです。

 

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