愛知お散歩なび

愛知お散歩人のほとんどうどんが公園、施設、工場、神社仏閣、その他いろいろ興味のおもむくまま歩き回ります。なるべく車を使わないエコな旅をします。

瑞雲山本光寺 深溝松平家の菩提寺(幸田町)

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こんにちは!愛知お散歩ナビゲーターのほとんどうどんです。ここはJR東海道本線の三ヶ根駅です。


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駅から山に向かって5~6分ほど歩きます。

 

瑞雲山本光寺


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本光寺です。三河のあじさい寺として有名なお寺です。


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ここに国史跡の島原藩主深溝(ふこうず)松平家墓所があります。

 

深溝はこのあたりの地名になりますが、近くには戦争中に発生した三河大地震の引き金となった深溝断層があります。

 

三河地震 - Wikipedia

 

深溝の地を本貫とし、三河吉田、三河刈谷、丹波福知山と移封を重ね、 肥前島原藩主として明治維新を迎えた深溝松平家の当主及び一族墓。

 

深溝松平家初代忠定から四代家忠までの墓、五代忠利廟である肖影堂、十一代忠恕の墓及び一族の墓塔が築かれている西廁所、六代忠房から十九代忠諒及び六代正室長の墓が築かれている東廟所、菩提寺瑞雲山本光寺及びそれら取り巻く山林より構成される。

 

五代忠利が三河吉田藩主となって以降、深溝の地は深溝松平家の領地ではなくなったが、深溝松平家は、当主(藩主)が江戸や領地で死去しても、必ず遺骸を深溝の地に運び埋葬を行うという、全国的にも珍しい埋葬儀礼を行い続けた。

幸田町教育委員会

 

ja.wikipedia.org


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山門をくぐります。


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このあたり、まだ紅葉が楽しめます。(12月10日に訪問)


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瑞雲山本光寺

 

戦国時代、三河地方に勢力を拡げ ようとした松平氏は、深溝城主の大場氏(大庭氏)をうちやぶり、戦功によって、一族の松平忠定公に深溝城を与え、勢力拠点の一つ としました。

 

深溝松平氏代々は、松平本家(徳川氏)に従って戦功をあげて栄え、九州・島原7万石の大名となり、明治をむかえました。

 

本光寺は、大永3年(1523) 忠定公によって建立され、以来歴代の菩提所として、信仰厚く保護され今日に至っています。

(宗派) 曹洞宗・本山永平寺・総持寺

(本尊)釈迦如来像

(脇土)地蔵菩薩(延命安産) 千手観音(武運長久諸事安全)

 

九州長崎島原藩の藩主は愛知がルーツだったんですね。(松平家だから当然か)


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東西に松平家の墓所がありますが、こちらが東側です。


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・全国にもあまり例の少ない神殿石造りで左図の構造です。

・当深溝松平家の九州島原城での役目は、長崎港監視と、 九州諸大名の監視(九州探題という)であった。

・代々の殿様が亡くなると島原本光寺で戒名をつけ御遺体船で蒲郡まで運び、行列を整えてここに入られた。

・先祖発祥の地に葬ることが家伝であった。

・墓前の平たい石は小判石といわれ岡崎東方の乙川に産し 当家由緒の保母小美地区で採られたと推察される。

 

長崎に移ってからも故郷のこの地を大事にしていて、亡くなると遺体をのせる船を仕立てて、近くの蒲郡まで運び、ここに葬ったというのがびっくりです。


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歴史の重みを感じさせる墓所です。


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歴代藩主の墓が並びます。これが神殿石造りですね。


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三河地震で崩れた塀がいまだそのままになっています。修復の予定はないのでしょうか。あえて残しているのかもしれませんね。


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本殿です。


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徳川家康と家光の名が刻まれている梵鐘。


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あじさいが有名な寺ですが梅林もあって早春も楽しめそうです。


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十一代忠恕公廟。


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在任中に島原大変もあり歴代藩主で最も多難だったとあります。死因は過労病死。江戸時代にも過労死があったんですね。


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忠恕のお墓です。


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願掛け亀がありました。


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大きな石を背負っています。


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亀ですが顔が牛のようにも見えますね。


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幸田町郷土資料館


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本光寺を訪れたついでに近くの幸田町郷土資料館に行ってみました。


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屋外展示コーナーにいろいろ昔の物がありました。旭光はブルーインパルスの初代機らしいです。


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陸上自衛隊の古そうなヘリコプター。ハエみたい。


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潜水艦おやしおの錨とスクリュー。


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105mm軽りゅう弾砲。


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なぜ幸田町にこんなものがあるのでしょう? 謎です。