愛知お散歩なび

愛知お散歩人のほとんどうどんが公園、施設、工場、神社仏閣、その他いろいろ興味のおもむくまま歩き回ります。なるべく車を使わないエコな旅をします。

下之一色 名古屋に存在した漁港の跡を訪ねて(名古屋市中川区)

こんにちは。愛知お散歩ナビゲーターのほとんどうどんです。

 

ある方のユーチューブの動画を見てその存在を知った名古屋市にある漁港跡に行ってみることにしました。そこには今年の3月まで魚市場もあったそうです。

 

そもそも名古屋に漁港があったというのが興味津々ですね。確かに名古屋は海に面していますが、海岸沿いは大規模な工場やコンテナ埠頭ばかりで漁業のイメージはありません。

 

どんなところなのでしょうか?

 

 

名古屋駅から市バスに乗車


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目的地は鉄道の駅から離れています。バスが便利です。

 

名古屋駅のバスターミナル4番乗り場から名古屋市バス権野行き(名駅20系統)のバスを利用します。


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約30分ほど乗車して料金は均一の210円。Suicaも使えました。

 

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庄内川を橋で越え国道1号線沿い、終点ひとつ手前の一色大橋バス停で下車しました。

 

寂れた下之一色商店街

 

下之一色は江戸時代から漁港があった漁師町で、明治、大正、昭和と多くの仲買人が魚を仕入れに遠くからやってきたそうです。

 

今でこそ下之一色はかなり海から離れた内陸ですが、昔は海がもっと近かったのでしょうね。


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バス停から南側に歩くと下之一色商店街で、車の通りはそこそこあるものの国道1号線と比べると静けさが漂います。

 

街並みは昭和レトロですね。ここは昭和30年代くらいまでは今の姿からは考えられないほど栄えていたそうで、あらゆる種類のお店や映画館、ビリヤード場などがあったそうです。


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また昭和44年まで、このあたりも名古屋市電が走っていました。(尾頭橋ー下之一色ー稲永ー築地口と路線がありました ※下記リンク参照)

 

tsushima-keibendo.a.la9.jp



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寂れていますがいい味出しています。看板が当時のままですね。

 

商店街を歩くとは営業している店はパラパラとありますが、シャッターが閉まっている店のほうが圧倒的に多いです。周りは住宅街でそれなりに住民はいるようですが、みんな車で近郊の大きなスーパーに出かけるのでしょう。

 


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下之一色の衰退への転機はやはり伊勢湾台風だったようです。

 

台風後に高潮対策の防潮堤工事が始まることになり、それに伴って当時の漁協は漁業権を返上し、漁港はその歴史に幕を閉じることになりました。

 

そして多くの人がこの土地を離れていくとともに、商店は廃業していったようです。周辺に大規模な商業施設が増えたことも原因でしょう。

 


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ただその後は名古屋の中心に近いため新たにこの土地に住む人もいます。

 

そんな時代の流れの中で、魚市場は漁港閉鎖後も存続し、他所から仕入れた魚を運んできて今年の3月13日まで営業を続けていたそうです。

 

 

新川堤防沿い

 

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商店街を抜けると新川に出ました。新川は尾張藩により庄内川の洪水対策として造られた川です。

 

下之一色は新川と庄内川に挟まれた土地です。やはり高潮襲来時や洪水時は危なそうな感じがします。ゼロメートル地帯ですね。

 

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橋の少し上流には放置された漁船?プレジャーボートでしょうか。船が係留されていました。


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川沿いに南下するとお堂がありました。熱田新田番割観音 三十三番割観音堂です。

 


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堤防沿いの狭い1.5車線の道ですが、抜け道になっているようで思いのほか車が通ります。通行には注意です。

 

廃墟と空き地の下之一色魚港跡


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こちらが廃墟化している魚の加工工場?冷蔵倉庫です。漁港の施設の一部だったのでしょう。


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内部は立ち入り禁止になっていますので、外から写真を撮影します。

 

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ステンレスの冷蔵室のドア?の前に放置されたブラウン管式テレビと液晶テレビ。


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もともと使われていたものなのか不法投棄されたものなのかわかりません。


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こちらはまったく片づけられていません。いつからこの状態なのでしょうか。夜逃げしたみたいです。


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残されたあいち一色うなぎのダンボール箱。

 

同じ一色でもウナギの養殖で有名な一色は、三河の西尾市になりますので下之一色とはまったく異なる場所です。

 

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この建物の所有者は誰なのかもはや分からないそうです。最終的には行政が税金を使って取り壊すことになるのでしょう。

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映画やドラマで犯罪者のアジトとして使われそうな雰囲気です。

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塗装がはげた冷蔵室の扉。


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通りをはさんだ向かいにも廃墟のような建物があります。



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廃墟のような建物ではなくて廃墟。

 


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下之一色漁港跡を示す名古屋市教育委員会の看板です。江戸時代後期には漁船は100隻を超え、特産品のはまぐりやカキは尾張藩主に献上されたのこと。

 


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そして大正元年には近代的な魚市場が誕生したそうですね。その魚市場が今年まで100年営業を続けたわけです。



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最初は気づかなかったのですが、この川沿いの空き地が魚市場が建っていた場所のようです。閉鎖から半年たち建物は取り壊され跡形もなくなくなっています。


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いや、コンクリートの地面に掘られたこの溝みたいなものが、魚市場の痕跡なのでしょうか?

 

水を多く使う魚市場の排水のためのものだと想像します。

 


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堤防沿いにある自転車置き場の表示。自転車でやってくる買い物客のためのものだったのでしょう。

 


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大正13年創業の新元湯



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すぐ近くには建物が大正13年建築の銭湯「新元湯」さんがありました。いちおう現役のようです。

 

グーグルでチェックしてみると営業は16:00~18:00の2時間のみで、0と5のつく日が休み。その他不定休あり。

 

新元湯/あいち銭湯 - AICHI SENTO -|愛知県公衆浴場業生活衛生同業組合

 

あおなみ線で帰ります


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帰りはあおなみ線の名古屋競馬場駅まで東海通りを歩くことにしました。

 

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橋の上から見る左が新川、右が庄内川です。

 


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荒子川です。

 

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あおなみ線の名古屋競馬場前駅に到着。駅名の通り名古屋競馬場の最寄り駅です。

 

在りし日の魚市場の様子はこちら

 

文春オンラインで下之一色魚市場の最後の営業の模様をレポートした記事を見つけました。魚市場の写真も掲載されています。

 

bunshun.jp