こんにちは。愛知お散歩ナビゲーターのほとんどうどんです。乳岩峡ハイキングを終えて豊橋に戻ってきました。豊橋市内中心部を観光してみようと思います。
目次
デザインマンホール発見
豊橋駅東口、駅前デッキの階段を下りてすぐデザインマンホール発見! 日本最大の自動車貿易港である三河港に入港する船をあらわしているのでしょうか。
こちらは三河名物手筒花火デザインのマンホールですね。バックは吉田城。
市電が活躍する町豊橋
豊橋で目立つのは何て言っても市電ですね。
ちょっとどっきりするような警察柄の市電も。
豊橋信用金庫のラッピング車両。
これは別の日に赤岩口駅の車庫で撮影したブラックサンダーのラッピング車両。
手筒花火発祥の吉田神社へ
吉田神社はこの地方で盛んな手筒花火の発祥の地。
手筒花火(てづつはなび)は、1メートルほどの竹筒に火薬を詰め、それを人が抱えながら行う花火である。手筒花火は、打ち上げ式ではなく吹き上げ式の花火で、その火柱は大きいものだと10数メートルにもなる。 愛知県豊橋市の吉田神社が手筒花火の発祥の地といわれる。豊橋市のある愛知県東三河地方、および静岡県の遠州地方西部で特に盛んである。
旧東海道の吉田宿がこのあたりにあったことを解説する説明板。
石碑もありますね。
手筒花火も奉納される吉田祇園祭は毎年7月の開催。
吉田神社の本殿。
豊川沿いの遊歩道を歩く
吉田神社のすぐ近くに国道1号線の吉田橋があります。橋から見る豊川の夕暮れ。
ちょっと上流に行くと豊川は大きく蛇行しています。時々魚が水面を飛び跳ねています。
吉田城(よしだじょう)は、三河国渥美郡今橋(現在の愛知県豊橋市今橋町、豊橋公園内)にあった日本の城。
戦国時代の16世紀初頭にその前身が築城され、16世紀末に大改築が行われた。戦国時代には三河支配の重要拠点の1つとして機能し、江戸時代には吉田藩の政庁としての役割を果たした。別の城名としては、築城当初に今橋城と呼ばれ、明治維新後には、吉田から豊橋の改名に伴い豊橋城とも呼ばれた。
昭和29年再建の隅櫓。
豊橋市役所東館の展望室
吉田城のすぐ隣は豊橋市役所で、東館の13階には無料の展望室があり夜9時まで入場することができます。
展望レストランもあります。
地上56m、この日は展望室は誰もいませんでした。穴場スポットのようです。西側の眺望。
こちらは南側の眺め。豊橋は高いビルが少ないですね。
展望室内には豊橋に関する展示物がいくつかあります。手筒花火の解説コーナー。
記念写真スポットでしょうか。
豊橋の歴史を学ぶコーナーもあります。
こちらが豊橋市役所の東館ですね。この建物の最上階にいました。
夜はライトアップされる豊橋市公会堂
豊橋市公会堂は市立の公会堂で式典や講演会等、各種イベントに利用されています。 国の登録有形文化財。1913年に完成した建物です。
夜はライトアップされムーディーですね。
公会堂の前にあったお宝マンホール。