こんにちは!愛知お散歩ナビゲーターのほとんどうどんです。
この日は知多半島の中央部に位置する半田市にやってきました。

写真の赤レンガの建物は1898 (明治31)年にカブトビールの製造⼯場として誕⽣しました。
明治時代に建てられたレンガ建造物としては⽇本で五本の指に⼊る規模を誇ります。
建物は「半田赤レンガ建物」として保存公開されています。

明治時代のレンガ造りの建物で4階建ては珍しいかもしれません。

内部です。

レストランがありました。

一部は赤レンガ建物とカブトビールに関する資料室になっていて有料(200円)で見学できます。

赤レンガ建物に関する展示室です。

辰野金吾、片山東熊とともに明治の建築界の巨頭と言われる妻木頼黄が設計しました。
戦後は食品会社の建物として使用されましたが、それも使われなくなり解体の話が進んだところで地元の声により保存が決定、耐震化工事をして2015年に公開、今に至っています。

カブトビールに関する展示室です。

半田における本格的なビールの製造は、明治20年(1887年)に四代目中埜又左衛門と盛田善平(敷島製パンの前身である敷島屋製粉場を開業)によって丸三麦酒醸造所で始められました。
たしか盛田善平とソニーの創業者の1人、盛田昭夫は親戚のはず。

丸三麦酒はカブトビールとなって、当時の4大メーカーであるサッポロ、エビス、アサヒ、キリンを追いかける存在となりました。

宣伝にはこのような広告塔を全国のあちらこちらに建てたそうです。


ビヤホールなどもオープンさせます。

当時の宣伝ポスター類です。

カブトビールだけに兜がシンボル。

昭和初期の美人画ですが眉毛が立派。
カブトビールはここで昭和18年まで製造されました。ビール運搬のために、ここからJR武豊線の半田駅までトロッコの線路も敷かれていたそうです。
赤レンガ建物内のお土産物屋では復刻されたカブトビールの明治バージョン・大正バージョンを購入できるほか、レストランでも飲むことができます。
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有料展示室以外は市民ギャラリーのようになっていました。

赤レンガ建物の北側の壁です。

壁にところどころあいた穴は戦時中の米軍による機銃掃射の跡だそうです。
戦時中、赤レンガ建物は中島飛行機の倉庫として使われていたので攻撃対象になったんですね。

南側はハーフティンバー様式です。
明治・大正・昭和・平成・令和と激動の歴史をみてきた建物です。

赤レンガ建物から名鉄の知多半田駅に向かって、途中までですが紺屋海道という道を歩きました。

むかしはメイン道路として多くの人が行きかっていたそうです。

周辺はお寺が多くありました。

名鉄半田駅手前に洋館がありました。

重要文化財の旧中埜家住宅です。中埜家はお酢のミツカンの創業家です。

設計は揚輝荘の伴華楼や桑名の旧諸戸精太郎邸を設計した鈴木禎次。愛知県に縁の深い建築家です。

名鉄知多半田駅前です。
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