
清州城へ行くには名鉄名古屋本線の新清洲駅が最寄り駅です。

清州城へは駅から徒歩10分ほど。

五条川沿いの道を歩きます。

清須古城跡の碑です。奥に清州城が見えていますが、これは再建されたもので本来は川の西岸にあったそうです。

古城跡は清洲公園として整備され、織田信長と濃姫の像がありました。

織田信長像。

濃姫の像。
通説では、美濃の戦国大名である斎藤道三の娘で、政略結婚で尾張の戦国大名の織田信長に嫁ぎ信長の正室になったそう。

ここを信長と濃姫が結ばれた愛のパワースポットとして売り出したいようですが、濃姫に関しての史実は少なく、信長と濃姫がラブラブだったかどうかはまったくわからないらしい・・

赤い橋を渡って清州城の天守へ。
清州城のそばには東海道新幹線が通っていて、車窓からその姿を見た人も多いはず。
現在の城は平成元年(1989)に建築された模擬天守です。

入口にはまだ門松が飾られていました。

清州城と言えば織田信長のイメージが強いですが、築城は斯波義重(しばよししげ)により1405年にさかのぼります。

1555年に織田信長が那古野城から移って以後10年間居住し、ここから桶狭間の戦い(1560)へ出陣しました。
1582年の本能寺の変のあと、映画にもなった清州会議の舞台となりました。

入場料は400円です。



1階の展示品です。2階、3階は清州城、戦国時代などに関する展示がありましたが、そちらは写真撮影禁止でした。
展示は思っていたより充実していました。映像展示も多く分かり易いです。
再建ということで観光目的のハリボテ城かと思っていましたが、バリバリ硬派なお城でした。

展示物を見終えて階段を上ります。

最上階の4階です。

新幹線とJR東海道本線が見えます。

名古屋駅の方向です。意外と近い名古屋の中心部です。
清州の町は尾張の中心として、京都、大阪に次ぐくらい栄えたそうですが、関ケ原の合戦後、家康が清州城の廃城を決定し、現在の名古屋城に町ごと移転することを決めました。
清州城は豊臣側に対抗するには城郭が小さく大量の兵を駐屯させられない、水害が多い場所といった理由があったようです。
清州越しにより今に続く名古屋の町の発展がはじまりました。
